「お前の祖父はどうせ便衣隊だろう(だから殺されて当たり前だ)」???


「日中の行き違い 「南京大虐殺」」及び「日中の行き違い 「南京大虐殺」結末編」というエントリを見つけたのだが、読んで一瞬寒気が走った。
http://blog.goo.ne.jp/oyamanotai/e/eb5091d974cf63b694c23a85c3bae9ae
http://blog.goo.ne.jp/oyamanotai/e/911a2e871e78132be01d253b6ca39e7e

書いている本人はコメディのつもりなのだろうが、とても笑えないことを書いておられる。
待ち合わせの相手が遅刻した、その相手は南京出身だと知った、だから相手が遅刻したことを叱責しないでよかった、もし相手が南京事件の遺族だったら大変なことになったかも、ということを語っているのだが、

(以下太字は青狐による)

危なかった。藪をつついて蛇を出すになりかねない危機を招くところでした。お前の祖父はどうせ便衣隊(民間人の服装に姿を変えた兵士)だろう(だから殺されて当たり前だ)とか、こちらが逆襲に出ればいいんですかね。


寒気が走ったのは「どうせ」という言葉だ。ここで「どうせ」という言葉が出てくるのは、この書き手の世界観とか、中国人観とか、日中戦争観の反映なのだろうが、それにしても「どうせ…」という思考がなされたこと、そしてそれをあっけらかんとブログで公開することに対し、悪寒が走った。

この人は、結局「お前の祖父は侵略者に殺されて当然だ(なぜなら便衣兵だから)」ということを述べているわけだ。おそらく「侵略/被侵略」の関係は頭から蒸発している。

いつも書いていることだけれど、南京事件否定論が浸透していくことの怖さは、「南京事件の否定」を越えて日中戦争とか戦争そのものへの感性や想像力が「浸食」されていくことではないか、と思う。