「反」靖国というよりは「脱」靖国のストラテジー

ブックマークより。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060828/p1

kurokuragawa  靖国, 宗教 全肯定も全否定も無理です


http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060829/p1

shin-ohara んー。云いたいことは大体分るけど、個人による追悼と国家による追悼は分けて考えた方がよいかも。個人による追悼に関して、考えた上で靖国、という結論に至った人間について想定されてなさげにも読める。

それぞれ仰りたいことは自分なりに感じています。
どちらかというと「脱・靖国」という考察なのですが、そう読みとれなかったとしたら私の側の問題だと思います。
少なくともグリーフ・ワーク(追悼行為)そのものを全否定することなどできない。そのうえで、「靖国参拝しか選択肢がない」と思い込まされている空気は酷すぎる(しかもこの傾向は今後さらに強くなりそう)というのが青狐の考えです。


「個人による追悼に関して、考えた上で靖国、という結論に至った人間について想定」はしています(身近にいますし)。ただ、そもそも追悼について「自由に思考する」ことができているのか、という疑問を(いろいろなブログへの出張コメントとその応答からも)感じているわけです。

で、私は国家と個人の中間領域にグリーフ・ワーク(追悼行為)の場が必要とされているように漠然ながら考えています。中間領域というか、公共領域というか、「社会」というか。