餓死した兵士を供養する/追悼するという難問に、どう向き合うのか
昨日書いたことの再確認になるが、
そういう不確かさの中で、(戦死者を追悼しようと欲する者は)どこで、どのような追悼の方法を選択するのか。
これは難問のはずだ。「魂はみな靖国に眠っている」という考えを信じ込んでいれば、そういう難問に直面しないですむだろう。しかし魂は自由に居場所を選んでおり、靖国神社には居ないかもしれないと考えはじめたとたん、私たちはそれぞれ自分で「追悼の方法」を考えなければならなくなる。
ちなみに内橋克人さんは、毎日枕元に位牌を置いて寝床につくという(NHKテレビの討論番組で自ら述べていた)。内橋さんの場合は兵士ではなく、空襲時に内橋さんを助けて自らは落命された方の供養として、そういうことをされているとのことだが。
話を戻す。難問をより難問にしているのは、戦死者とされる230万のうち、半分以上の140万が餓死や栄養失調による病死であるということだ。(藤原彰氏による)
http://blog.goo.ne.jp/taro606/e/cd85127bb4af3394d9ac40fc6a00d437より。
日本政府の公式発表は疑わしいが、まあ一応公式の軍人軍属の戦没者は230万人。
そのうちこの藤原氏が「研究」して「推定」(ほら、ちゃんと推定といっている。自分の判断に対する批判精神がある。)
推定した餓死と栄養失調等による病死の数は140万人前後。
戦闘で死亡した軍人軍属は推定90万前後ということになる。6割は餓死病死なのである。僕はずっとこれが「作戦ミス」などという軽い言葉で片付けられるか。と書いてきた。東条たちの愚かさによって「虐殺された」というべきであろう。もう本当にひどい。調べるのがいやになるほど悲惨である。
これは戦死なのだろうか。
難死。虐待死。「馬鹿馬鹿しい死」(山本燿司さんが自らの父の死を評して)。「戦死」以前の死。
あるいはこれも「戦死」の範疇?
これは「物語」に組み込まれるような死に方か? 140万もの餓死や病死を組み込むような「物語」はありうるのか?
いまいちど「追悼の方法」に話を戻す。140万の餓死・病死者を供養/追悼しようと欲する者は、どこで、どういう方法で供養/追悼するのか。
この難問と向き合って苦悶するのか。それとも、靖国神社に参拝するという方法で解決する、と考えるのか。
私は前者を選ぶ。みなさんはどうだろうか。