1941年に始まっていた?「日中戦争の忘却」(または大東亜戦争正当論に見られる概念操作)


http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060819/p1#cでのコメント、ありがとうございました。とくにスワンさんの問題提起は重要ですが、少し自分の中で消化途中ですので、とりあえず自分のコメントを再掲します。

一般国民が(動員されることで)日中戦争に加担した・協力したという ことは否定し難い事実だと思うのです。ただこの事実はずっと忘却あるいは空とぼけされてきた。

このことに関して、monduhrさんという方のとても興味深い考察をみかけました。
http://d.hatena.ne.jp/monduhr/20060818/1155864626

このエントリによると、1941年の時点で「日中戦争」に対する「空とぼけ」は始まっていたということになります。45年以降の「空とぼけ」現象も、41年時点で始まっていた現象の延長だと考えることもできそうです。』 (2006/08/21 05:06)

ここでmonduhrさんの考察を引用する。(太字は青狐による)
このエントリでは「日中戦争を忘却」という側面を強調したが、もともとのmonduhrさんの考察は、「大東亜戦争正当論」等に見られる概念操作を浮き彫りにすることが主旨だと思われる。

 41年12月に、少なからぬ人々は、それまでの中国への軍事侵攻とともに心理的負担として蓄積されてきた、後ろめたさや鬱屈からの一種の解放感を感じたのだった。その限りでは、当時すでに、明らかに連続した戦争を、非連続なものとして了解したいという心理があった。
 どう言い繕っても、少なくとも31年以後の中国侵攻はアジア「解放」だとは言い張れないし、どう考えても中国を「應懲(ようちょう=こらしめ)」するという<理>は、西洋列強を相手とする戦争の<理>に比べて、弁護が厄介だ。そこで、連続した15年間の戦争が、41年12月で句切られる。
 だがもちろん、41年は少なくとも31年からの延長上にこそあり、ごく簡単にいっても、日本が中国から撤兵していれば、日米戦争はなかった。
 あの戦争での全ての<理>は、切り取られた最後の3年数ヶ月だけでなく、最低限「一五年戦争」のトータルな歴史の中で検証されねばならない。当たり前のことなのだが。


「連続した15年間の戦争が、41年12月で句切られる」ことによって、日中戦争に「理はあるのかという問い」も、そういう戦争への「戦争動員責任」も「戦争協力責任」も忘却(または「空とぼけ」)することが容易になる。*1

「戦争動員責任」や「戦争協力責任」を直視しない現象は、おそらくこの「概念操作」を起点としている。

*1:忘却することで、かつての戦争協力者が「イノセント」な自己像を獲得した、ということでもある。この「イノセント」問題は別途考える必要があると思う