日本軍は軍紀厳格だった、らしい(これでもねぇ)

日中戦争において「日本軍は軍紀厳格」「日本軍は規律厳正」「日本軍は国際法を基本的に遵守」などと述べる人って、実在するのですね。すごいなあ。

ちなみに秦郁彦南京事件」(中公新書)、ウェブサイト「南京事件 小さな資料集」、及び「クッキーと紅茶と」からだけでも、以下の史料・証言を読むことができます。



松井石根大将(中支那方面軍司令官)の回想。

我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや。是思ふに
一、上海上陸以来の悪戦苦闘か著く我将兵の敵愾心を強烈ならしめたること。
二、急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと。
等に起因するも亦予始め各部隊長の監督到らさりし責を免る能す。
松井大将「支那事変日誌抜粋」
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#matuiiwane

畑俊六大将(中支那派遣軍司令官)の1938年1月29日の日記。

支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類の誠に忌はしき行為も少からざる様なれは、此際召集予后備役者を内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役者を以て交代せしむるの必要あり 。
みすず書房『続・現代史資料4 陸軍(畑俊六日誌)』P120〜P121)

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#shunroku


真崎甚三郎大将の1938年1月28日の日記。

十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く。同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交 へて研究せり。従て同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し 之を建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずという云ふに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり。
『真崎甚三郎日記 昭和十一年七月〜昭和十三年十二月』 P263

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#mazaki


1938年1月2日に現地調査に赴いた阿南惟幾陸軍省人事局長の1938年1月12日の報告。

軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、掠奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しつつあるも部下の掌握不十分、身教育補充兵等に問題なおたえず。

(田中新一・陸軍省軍事課長「支那事変記録 其の四」)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060718/p2