「岡村寧次陣中感想録」と「空とぼけメソッド」


先日の「「岡村寧次大将陣中感想録」と「読みたくない字は読まないメソッド」」というエントリに対するADON-K さんの反応について。
拙エントリのポイントは3点だった。簡潔に紹介すると、


(1)「岡村寧次大将陣中感想録」の「南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し」という記述を紹介したのに対し、 ADON-Kさんは別の史料(「岡村寧次大将資料」)の話にすりかえた。

だいたい、今回紹介した「岡村寧次大将陣中感想録」は(太字青狐)

南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し

という記述がキモなのに、平然と「その中身も「掠奪・強姦」であった」という文を反論として引用してくる神経が理解できない。読みたくない字は読めなくなるのだろうか。

(2)当該文章が書かれた時期。

それに「陣中感想録」の当該文章は、「一九六三年に「記憶を呼び戻して」書いたものである」ものではなく、「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。

(3)宮崎・原田・萩原の情報源。「安全区委員会の被害届」という決めつけについて。

そしてもう一つ問題は、宮崎・原田・萩原の情報源を「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。
決めつけメソッド。
既に述べたように原田熊吉少将は中支方面軍の特務部長でもあった人間で、事件当時の南京に入っており、「ラーベの日記」にも登場する。いわば事件の現場を見ている人間である。にもかかわらず情報源を「安全区委員会の被害届」と決めつけるのは、意図的な矮小化・無効化と思われてもしかたがないだろう。



以上3点で構成された青狐のエントリに対する、 ADON-K さんの反応。

■「岡村寧次大将陣中感想録」と「読みたくない字は読まないメソッド」?
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060704/p1
さらに燃料投下w

>、「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。
 可能性が高いって・・・www

>「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。
 勝手に断定してると勝手に断定してない?www

違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。
想像じゃなく
Posted by ADON-K at 2006年07月05日 02:41

予想通りだったのだが、上記(1)、つまり「岡村寧次大将陣中感想録」を別の史料(「岡村寧次大将資料」)の話にすりかえたことに対しては完全にスルー、である。
これもまた、空とぼけメソッドなのだろう。


(繰り返すが)でっちあげ・捏造派」の人にとっては「南京事件」とは、「中国側が創作した情報」だけを根拠として捏造されたものでなければならないのだろう。そういう人にとって「南京事件があったという日本軍側の情報・認識」は「存在してはいけない」もの、ということだろう。その結果、「読みたくない文字は読めない」メソッド」や「空とぼけ」メソッドが発動されるものと思われる。



残りの2点。
(2)書かれた時期

「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。

可能性が高いって・・・www
(中略)
違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。
想像じゃなく

推測の根拠は既に書いている通り。むしろ1954年6月に厚生省引揚援護局によって書物の形になっている「陣中感想録」が、どうして「1963年に記憶を呼び戻して書いたもの」になりうるのか、私には理解不能
である。



(3)情報源について

「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。

勝手に断定してると勝手に断定してない?www
違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。
想像じゃなく

いや、ソースを出すまでもないのですが。
そもそも情報源が「安全区委員会の被害届」に限定されるのだったら、岡村の記述に「4〜5万」とか「俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり」という語句は存在しないはずなのですが。*1
そのような語句が存在するということは、情報源が「安全区委員会の被害届」以外に存在することを示している。にもかかわらず情報源を「安全区委員会の被害届」に限られると断定するのは、単に「決めつけメソッド」であるだけでなく「大ウソ」である。



ところで上の(3)のくだりは、野良猫さんの「空とぼけ」とまったく共通である。
野良猫さんはこう述べていた。

安全区委員会は、日本軍に関する抗議を日本領事館に行っていた。その連絡が日本政府に「虐殺」という内容で届き、中支派遣軍司令部に確認を求めている。畑俊六日記もそうした経緯を書いたもの。岡村日誌も同様。

おそらく2人の意見は、元ネタが共通ということなのだろう。
事件当時南京に居た原田少将から聴取している、という事実をもみ消したい、という意志が働いている、ということだろうか。

*1:それらの語句が「安全区委員会の被害届」には存在しないのは「南京事件の基礎知識」レベルの事柄だと思いますが