いわゆる「南京大虐殺=捏造」認識の人との対話(06年5月31日)

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html?reload=2006-05-31T00:47:35における最後のコメントの転載。
ブログ主さんの

>申し訳ないがあなたの言いたいことがさっぱり解らないですw
>もしかして・・・
南京大虐殺30万人説がないことを証明できないのなら”それはあったかどうかわからない”ことだから嘘だとか捏造だとか空想上の妄想だとか言ってはいけない
>っということでしょうか?

という質問への返答として書いたものである。長文になった。


特定アジア」などという言葉を使う人との対話は、けっこう緊張感があった。果たして「対話」は成立したのか、どの点が成立してどの点が成立しなかったのか、みなさんのご意見を御聞かせ願えれば幸いです。

ここまで議論の流れを踏まえて、私の考えをいくつかの項目にまとめておきましょう。
まず、南京大虐殺という言葉について。
南京大虐殺」という言葉自体には、30万人虐殺という意味は含まれていません。「東京大空襲」という言葉自体に「10万人空襲死」という意味が含まれていないのと同じです。南京の30万説、東京の10万説は、それぞれ被害国が主張している「説」にすぎません。

ちなみに中国語の「南京大屠殺」という言葉も、30万虐殺という意味は含まれていません。これは文字通り南京での「大規模な屠殺」という意味で、1946年の「30万人説」発祥以前、1938年頃から存在する中国語です。
ですから「南京大虐殺」を「想像上の捏造」だと主張するには、「大規模な虐殺があった」説を否定しなければいけないはずです。
その際、「大規模」とはどういう規模かという定義を含めて否定する根拠を持つ必要があるでしょうが。

次、30万人説について。
30万人説は1946年の中華民国の南京軍事法廷判決に由来する説です。これに対し「誇張」ではないか、と反論する余地は大いにありうるでしょう。
しかし、「南京大虐殺」を「南京30万人虐殺」とローカル定義して、30万人説を否定すれば「南京大虐殺」は否定された、「南京大虐殺は捏造だ」などと言い出すような態度は極めて姑息というか、もっと言えば滑稽だと私は考えます。
さらに言うと「30万人説」をちゃんと「否定」することができた説、「捏造」だと立証した説も私はお目にしたことがありません。今回議論になった「人口論」はいわばアリバイ論に属するのですが、否定派の主張でアリバイ証明が成立しているものは一つも見ませんね。

30万人説に対し「誇張じゃないの」と疑義を述べることは正当でしょう。しかし「捏造」と主張するならば、ちゃんと「捏造」であるという根拠を持たなければいけませんね。ましてや、「大虐殺」に対し「捏造」と述べるからには、「大規模な虐殺」がなかったことを立証しなければなりません。

次のパラグラフのみ未投稿。

(未投稿パラグラフ)
ちなみに南京大虐殺の証拠とされているもののうち、日本語に翻訳されているものは多くはありません。東京大空襲の証拠となる史料の多くが英語に翻訳されているわけではない、というのと同様です。
もしあるアメリカ人が、英語で読める文献だけを根拠に「10万殺されたという根拠はない、東京大空襲は捏造だ」と主張したらどう思いますか。10万の死体を誰も見ていない、証言は戦後に記録されたものばかりだ、行方不明者が他の場所で生きていないという証拠はあるのか、証拠がないのだから捏造だ、などと言われたらどう思いますか。
おいおい、主張する前に膨大な日本語資料を読め、と私は思いますね。「まず膨大な日本語史料を読んで、そのうえで「捏造」であるというに足る根拠があるなら提示してみなさい、と。

同様に南京の「大規模虐殺」を本気で「捏造」だと主張したいなら、最低限中国語で公刊されている文献に目を通して、そのうえで「捏造」であるというに足る根拠があるのなら提示するのが筋というものです。

次、南京事件、それから「虐殺」について。
私自身は南京大虐殺という言葉は極力使わず「南京事件」と言う言葉を使いますが。その理由は殺害だけが問題なのではなく、強姦・略奪・放火などの暴行事件を含めて一つの大きな事件だと考えているからです。

それでも、南京事件のいちばん主要な部分はは中華民国の首都である南京の主権を侵害し、そこの主権国民である中国人が多く死んだ出来事です。主権を侵害された国の兵士や国民が抵抗するのはある意味当たり前で、その抵抗者が多く殺されたら、その被害国は無抵抗で殺された者ともども「虐殺」として記憶するのも当たり前だと思います。
参考に、南京を東京や沖縄、中国を日本、日本軍を中国軍とか北朝鮮軍とか米国軍に置き換えて考えてみるといいでしょう。侵略者に抵抗した自衛隊兵士、抵抗した民間人、無抵抗の捕虜や民間人、それらがみんなまとめて「侵略者に虐殺された」と記憶されることは不自然でしょうか。私には特異なこととは思えません。

これに対し、いやこれは虐殺だがこれは虐殺じゃないだろ、という解釈論争の余地は確かにあるでしょう。しかし解釈の違いをもって被害国の主張を「捏造」だとか「想像上の出来事」だと主張した場合、その主張にどれほどの正当性があるでしょうか。

最後に、南京の人口推移について。
もともと100万都市だった南京は、日本軍による空爆を契機に人口が減り始め、その後占領・傀儡政権の樹立から数年たっても人口が60万にしか回復しませんでした。では残りの40万はどこにいったのか。他の場所で生きているのか、それとも殺されたのか(南京で?それとも疎開先で?)‥30万説というのは、このうち半分の20万が殺されたという見積もり(兵士が10万殺害という見積もりを加えて30万)ということになるわけです。私は南京軍事法廷の「30万説」がザル勘定だ思いますが、しかしそれほど「荒唐無稽」で「悪質」で「あり得ない」見積もりの域だとも思いません。(少し話がずれますが、被侵略国だった当時の中華民国に侵略国日本の側が完璧な被害調査を求めることは、道義的に倒錯していると思います)
これもまた、日本のある100万都市が侵略され、数年経っても人口が60万しか回復しなかった…という事態を想像してみるとよいと思います。非侵略国の日本が戦後限られた時間と経済的余裕の中で「30万虐殺」とザル勘定して軍事裁判を済ませた、それに対し侵略国(中国であれ北朝鮮であれ米国であれ)の人間がどう受け止めるか。本来は加害側が、被害調査のコストを負担するべきとは思いませんか。

南京事件は、少なくとも日本語で読める資料からは不明な点が多く、また概要をつかむこと自体が根気を要する複雑な事件です。いわばグレーゾーンだらけの事件です。しかしこのグレーゾーンだらけの歴史的事件についてどう向き合うのか、という点が問われていると思います。少なくとも30万人説論争が最重要な問題とは私には思えません。
これで、ADON-Kさんへの質問への答とします。ここでの発言はこれで終わります。なお、私のブログ「クッキーと紅茶と」は、ほとんど全て日本側史料だけを用いて南京事件を研究しようというブログです。興味のあるかたはどうぞ。

最後のパラグラフは不十分かもしれないが。
ちなみに、野良猫さんが横レスしてきたので、あそこでの投稿は終了することにした。時間の無駄は避けたいので。