比嘉春潮氏の回想と「安全マキャベリズム」

ホテル・ルワンダ」の議論に関してはほとんどROM状態だが、fenestraeさんが紹介した関東大震災時の状況に対する比嘉春潮氏の回想は、とても生々しく感じた。
http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060307

これを読んで、kechackさんのエントリ「安全マキャベリズム―ルワンダ虐殺と関東大震災朝鮮人虐殺との差異」の以下の記述が思い浮かんだ。
http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060307/p1

私も当時の日本人に朝鮮人への憎悪は特になかったと思う。あったのは多少の優越意識だけ。

 なぜ大震災時に虐殺が起きたか、今のネット言論は日本の歴史的恥部を無視することを善しとし、少しでも触れるだけで「サヨク」のレッテルを貼られる為、余り触れられることはないが、これは一種の安全マキャベリズムであったと思う。デマを流布した人には朝鮮人への憎悪があった可能性が高いが、それを信じて自警団を結成して虐殺に加担した人は、安全マキャベリズムに駆られ理性を失ったのであろう。

 この安全マキャベリズムが厄介なのは、民族というカテゴリー以外でも起こりうる訳で、厄介なのは戦争や震災などの混乱でなくても、日常生活で起こりうることだ。特に「子どもの安全」という話になると、かなりリベラルな人間でも強行保守派に変質してしまう。

 街に監視カメラを付けろとか、近くに養護学校が出来ると聞くと反対運動を起こす。自分の子どものことになると。1%でもリスクが高まることに反対し、1%でも安全が担保されることは支持するのである。

 もちろん、この行動は一方的には非難できない。人間の生命はどんな崇高な理念より勝るものであり、人間は生命に関して常にマキャベリストなのであるから。

 関東大震災に於いては、朝鮮人を殺すことで1%でも自分たちの安全が担保さると信じた人間が虐殺をしたのである。現在でも「殺せ」という極論は起きなくても*1、「在日朝鮮人を収容所に送れ*2」とか「ヲタクは犯罪予備軍だから収容所に送れ」といった予防拘禁を支持するような世論は容易に勃発し得る訳である。安全マキャベリズムが極限に達した状況においては1%でもリスクの高い集団*3が存在すえば排除の対象となり得るのである。