(メモ3)茂木氏が無視した(知らなかった?)日高信六郎参事官の証言

茂木弘道さんが2月4日付エントリを出されていますが、その前の2月2日付エントリ「ブラック・プロパガンダ」の内容について疑問をはさませていただきます。

さて、茂木さんが「むしろ記録は水増しのほうが多かったと判断できます」と述べる根拠の一つ、福田氏の「…提出した」発言は茂木さんの「創作」でした。では、もう一つの論拠、「放火」の件はどうでしょうか。

>たとえば、"Documents"には、放火が5件記録されています。日本軍は、占領した南京の治安維持が最大課題で、放火などする理由がありません。また、放火は重大な軍規違反で見つかれば厳罰に処せられます。たぶん潜伏中国兵の仕業でしょうが、ずうずうしくも日本軍の犯行であるかのごとく訴えられ記録されています。

この茂木さんの説は、次の2つの説を前提としています。
・放火を行ったら厳罰に処されるから、日本軍兵士が放火するとは考え難い
・日本軍兵士には、放火を行う動機がない

では、大使館参事官日高信六郎氏の証言を見てみましょう。ちなみに日高氏は1937年12月17・18日、25・26日など4回にわたって南京に入っています。(ただし17・18日は16・17日の記憶違いの可能性あり)

 入城式の前日(十二月十七日)憲兵隊長から聞いたところでは、隊員は十四名に過ぎず、数日中に四十名の補助憲兵が得られるという次第であったから、兵の取締りに手が廻らなかったのは当然だった。
 そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。
広田弘毅伝記刊行会編「広田弘毅」311頁〜315頁)

↑またしても「ゆう」さんの「南京事件 小さな資料集」より。
http://www.geocities.jp/yu77799/hidaka.html

…これを読む限り、「南京安全地帯の記録」所収の5件の放火が「中国兵の仕業」だと決め付けるのは安易に過ぎるでしょう。
しかも日高氏は、「市民」を(苦力のように)使役に使った後に殺してしまう、という事例まで述べています。これは「放火」とは別の問題として無視できない証言ですね。

考えられる可能性。
(1)茂木さんは「南京事件研究会に参加して掘り下げた研究をしていった」のだが、同研究会はこの「日高参事官の証言」を史料として扱っていなかった
(2)茂木さんはこの「日高参事官の証言」を知っていたが、敢えて無視した

…どちらでしょうか。