南京事件論争における「やった者勝ち」問題


Schwaetzerさんのところの議論を契機に、南京事件」における(日中の)非対称性、及び南京事件論争」における非対称性について考えているところなのだが、
メモ(1)として、9月21日エントリのコメント欄を転載。

# mojimoji 『はじめまして。先日は僕のところへも書き込みいただきありがとうございました。南京事件も興味をもっているところで、先日bluefoxさんのエントリを幾つか拝見いたしまして、いろいろ勉強になりました。/Schwaetzerさんのところのやり取りですが、ちょっと割り込みさせていただきました。僕も以前から気になっていた論点でした。悪意を持たない人が、期せずして被害者(であるはずの人、周囲からは被害者が誰か分かりにくい)を追い詰めてしまう枠組みに加担してしまうという、そういう大事な問題につながっていると思います。』 (2005/09/26 21:52)

# bluefox014 『コメントありがとうございます。

少し話が飛ぶかもしれませんが思いつくまま述べると、南京事件及び「南京事件論争」に関して言うと、1937年12月〜1945年8月の「7年8か月」という時間に留意すべきと思うのですね。これは南京が日本軍の実質的支配下に於かれていた期間なのですが、この間に日本軍側は情報の隠蔽や破棄、宣撫工作などを行い、いっぽう南京に於ける主権を失った中華民国側は、45年8月まで被害規模調査一つできなかったわけです。

つまり「南京事件」のみならず「南京事件論争」においても、まず最初に日本側の隠蔽工作から始まっているわけで、その「やっちゃった者勝ち」的優位性、非対称性を無視して「確かな論拠もない中国が…」とか「所詮中国のネタ」などと言い出すのは、どうも筋が違う、と思うのです。』 (2005/09/29 01:15)

事件と同時に第三国機関による徹底的な被害調査が行われる、ということが可能でない限り、「やった者」と「やられた者」の論戦はイコールコンディションにはありえない。だから、南京事件論争を一つのゲームとして考えると、この「ゲーム」は圧倒的に「やった者勝ち」という設定のゲームである、ということはまず留意されなければいけない。

しかし少なくない人が、この点を留意せず、あるいは故意に無視して、南京事件について発言している。