継続議論;アメリカ人記者は2日半でどれだけ取材できる?

7月19日のコメント欄の議論の転載。
転載が遅れたのは、いろいろ思うところがあったのだが、とりあえず今は理由非公開。

# 海外記者軽視論に異議
『それはさておき、だとすると当方の論への反論点は「海外記者の取材規模・詳細性、及び記者が当事国に属するか否か」に帰するという事であろうか。
 つまり、当時わざわざ戦地に残ってまで取材を続けんとし自社誌に記事を配信していたNYタイムズ・AP通信・シカゴデイリーニュース・ロイター通信・ロンドンタイムズ・等の第三国メディア記者達は、奇しくも揃いに揃って「日本軍により南京入場から6週間に渡り行われた、数万人規模の組織的無差別大虐殺」を、リアルタイムで現地取材をし記事を配信していながら見聞きも知りもできなかった……という事なのか。(この「6週間」から一週間と間の空かぬうちに起こった「米領事殴打事件」は即座に記事になるほどであったのに、である)
 たった4人で充分な取材など無理……のような論旨のことをおっしゃる方もおられるが、では逆にその4人とやらの取材が、残る100人以上の国内記者のそれと大差ない(むしろアメリカなどは当時険悪な関係であり、半敵国ですらあった。ゆえに日本と中国を両成敗的に論じている傾向が見られる……が、リアルタイムな大虐殺の記述はやはり無い)のは何故なのか。
 これでも「国内記者は自主規制、国外記者は取材不足」ゆえに「数万人規模の組織的大虐殺」を記録に残せなかった……というのだろうか。このエントリーのように、例え発禁処分を受けた記事であろうと後の世には残っているというのに。
 yamawakiさん他に、(間接的にではあれ)ここまで「無能」との烙印を押される上記誌の戦地記者達に、一抹の同情を禁じえない。彼らはそれほどに無能であったとは思えないのだが……

# yamawaki
『取材できたはずという主張ですか。6週間といいますが、NYタイムズ・AP通信・シカゴデイリーニュース・ロイター通信・ロンドンタイムズの記者はそのうち何日から何日の間、南京に居たんですか?』

# 海外記者軽視論に異議
『>yamawakiさん
 6週間というのは言うまでもなく、「極東裁判で認定された、南京大虐殺とされる出来事の定義範囲」である。蛇足ながら、検察側によると「最初の2〜3日」つまり12/13〜15の間に「2万人以上の人々」が「日本軍により即座に死刑に処せられ」たとの事。

 さて、資料を調べれば容易に知りえることではあろうが、質問されたゆえに冗長ながら回答する。
 質問への回答は「少なくとも1937年12月7日以前〜12月15日、最低一週間」。詳細は以下。

 よく名前も出てきて、南京関係では割と「有名人」なダーディン記者(NYタイムズ)。彼は少なくとも12/7から南京の現地で詳細な取材を続け、12日には南京市内を車で移動し中国軍の様子を見聞したとも述べている。
 同じく割合に名の出てくるスティール記者(シカゴデイリーニュース)。少なくとも8日からすでに南京発の記事を発信しており、ダーディンよりわずかに早く南京陥落後の第一報記事を送った事で知られる。
 マクダニエル記者(AP通信)も彼らと共に取材をしていたようで、NYタイムズに当時の南京の状況を記した署名記事を寄稿している(正確に何日付記事かは不明)。
 マクドナルド記者(ロンドンタイムズ)はパネー号に乗るも一度南京に引き返し、12〜15日の南京の様子を記事にしたものを17日に上海から打電、18日に記事として掲載されている。
 以上がある程度簡単に入手できる、当時の海外記者に関する情報である。

 さて、13〜15日に「2万人以上の人々」が「日本軍により即座に死刑に処せられ」たとされる時期にリアルタイムで(車なども使用してかなり自由に)取材をしていたと思われる彼らが、それをまったく察知できず記事にもできなかったというのであろうか?
 余談だが、さらに1938年の春や夏にも海外のメディアが南京取材を組んでおり、その時にも聞き取り取材や写真の撮影などを通じて「陥落時の数万規模の虐殺」というべき情報は何ら確認されなかったという。
 さて、あったのは「メディアからも市民からも完璧に隠匿・秘匿された大虐殺」なのか、それとも「メディアが取り上げる程の事象たる大虐殺が無かった事実」なのか。興味深い所である。』

# 海外記者軽視論に異議
『>yamawakiさん
「「自主規制」など当然なかったはずの海外記者達が、少人数とはいえリアルタイムで南京陥落時に現地で取材をしていたにも関わらず、「日本軍による数万規模の組織的虐殺」を当時報道しなかったのは何故か」。
 日本人も外国人も当時書かなかった「日本軍による数万規模の組織的虐殺」は、果たしてどこに「あった」のか? 日本人は検閲?や自主規制?があったとするとして、外国人は? 「人数も少なく期間も短いから取材が不十分だった」?(後にダーディン記者はインタビューなども残しているが、自身の当時報道記事に自信を持っていたことは言葉の端々からうかがえる)

 Yamawakiさんに限らず、どなたかでもお答え願えれば幸いである。改めてお待ちしている。』

# yamawaki
『>質問への回答は「少なくとも1937年12月7日以前〜12月15日、最低一週間」

ちょっと、おかしいでしょう。
13日から事件が始まって15日に南京を離れたのになんで「最低一週間」と返答するのか、信じられませんね。
15日の何時に船に乗ったのかわかりませんが、二日半〜三日でしょう。なんでこういうごまかしをするのか。
理解に苦しみますよ。

>12/13〜15の間に「2万人以上の人々」

その2万人以上の人はどこで殺害されたのですか? ロイターのスミス記者の講演では、下関の方へ連行される中国人を追ったヨーロッパ人の追跡は日本軍に阻止された、とあります。下関ですら足を踏み入れられないようでは、仮に城外で処刑があっても、海外記者が足を踏み入れるのは相当困難と思いますよ。』

# 海外記者軽視論に異議
『>Yamawakiさん
>二日半〜三日でしょう
 13日以前からも継続して南京の取材を長期に渡って行っている、という事実(ダーディン記者などは1936年8月から南京にいた、とも述べている)を無視しては成り立たぬ、と考えたためです。確かにおっしゃる通り「日本軍入城時点からの取材期間」は3日(13〜15日)となります。こちらの記述不足についてはお詫びします。
 ごまかし、と称されるのはいささか不本意です(当方は誤解されぬよう「少なくとも7日以前〜15日」と併記している)

>2万人以上の人はどこで殺害されたのですか?
 こちらは極東裁判に話が入ってしまうのですがね。極東裁判で採用された検察側主張ですので。
 検察主張としては「南京市内とその周辺」、民間人は主に市内での殺害という主張であるようだ(詳細は極東裁判関連資料にてどうぞ)。
 とはいえ、前述のダーディン記者に限らず「処刑を目撃」した、等の報告はいくつもあるため(報道だけでなく国際委員会からも)、「海外記者が足を踏み入れ」られなかった等の「処刑秘匿」たる事実は存在しなかったと思われる。
(処刑隠匿目的で連行の追跡を阻止したなら、他の処刑も隠匿し極秘に行うはず)

 逆質問には回答させていただいた。
 では、改めて当方の質問への回答をお待ちしている。(Yaawakiさん以外でも可)』

ところで、南京軍事法廷の主張する「事件の空間範囲」は以下のリンク参照。

http://www.jca.apc.org/JWRC/exhibit/China23.HTM

この範囲を2日半で単身取材して、それでも万規模の虐殺を報道しなかったのなら「なかた」の傍証になるかもしれないが、実際下関への追跡取材を阻止されているようでは、この範囲の全域を取材することは到底無理だろう。