足立和雄記者の目撃証言(1975年)


足立和雄氏(東京朝日新聞)は「大虐殺を否定している」従軍記者として一般的に認識されているようだが、実は、彼は1975年の時点では以下のような文章を書き記している。

昭和十二年十二月、日本軍の大部隊が、南京をめざして四方八方から殺到した。それといっしょに、多数の従軍記者が南京に集まってきた。
そのなかに、守山君と私もふくまれていた。
朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった。そこに、日本兵に看視さて、中国人が長い列を作っていた。南京にとどまっていたほとんどすべての中国人男子が、便衣隊と称して捕えられたのである。私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと証言して、助けてやった。そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、私たちの力では、それ以上なんともできなかった。”便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。
「悲しいねえ」
私は、守山君にいった。守山君も、泣かんばかりの顔をしていた。そして、つぶやいた。
「日本は、これで戦争に勝つ資格を失ったよ」と。
内地では、おそらく南京攻略の祝賀行事に沸いていたときに、私たちの心は、怒りと悲しみにふるえていた。

『守山義雄文集』所収、足立和雄「南京の大虐殺」守山義雄文集刊行会・1975年刊

もちろん、この出来事を足立記者は1937年時点で記事にしていない。

その後、足立氏は「数十人の中国人を処刑している場面」 が唯一自身が目撃した、という旨の発言をしている(引用は後日に)。
その発言と、上の文章とは少なからず整合性を欠くため、いろいろな憶測が生まれるのだが、その問題については次のエントリで考えたいと思う。

8月2日追記;場所、人数規模に言及している箇所を太字にした(青狐による)