国旗・国歌問題;「理念なき継承」をめぐって

swan_slabさんのhttp://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050329経由

暴風さんのhttp://d.hatena.ne.jp/bowwho/20050329#c

私の立場はと言うと、一言で言えないのだけれど、できるだけ簡単に言うと。

一般的に国旗や国歌に敬意を表するのは、国民としてのマナー。学校でそれを「するべき」と教育するのは、例えば、右側を歩きましょうとか、税金を納めましょうとかいうのを教育するのとあまり違わないように思う。

(3/30追記:ここまでで言っているのは「一般的に国旗国歌に…」て話。日の丸君が代と言う特定の国旗国歌については、次を読んで下さい)

日本が過去に戦争をしたのは、間違いであり、謝罪すべき事だと思う。(確かに中国、韓国などは被害者だと思うが、米国や英国等は日本と同様謝罪すべきと思う。)その戦争で日本の現在の国旗と国歌、つまり日の丸、君が代が使われていたために、国内外であの旗や歌に不快感を感じる人が居ることは事実であり、私達があの旗や歌を使うなら、彼らの不快感に配慮がなされなければならないのは当然のこと。

(3/30追記:従って、日の丸君が代に敬意を表することで、もし先の戦争の責任について否定するような立場であることが表されるのであれば、私としてはそれを拒否したい)

しかし、日の丸君が代を止めたからと言って、過去にしたことが全部清算できるはずはなく、むしろ、あの旗や歌を止めてしまったら、我々がしたことが清算できたかのように誤解してしまわないだろうか。むしろ、あえてあの旗を使うことで、自分たちの歴史が他の誰かに不快なものとして感じられていることを記憶し、責任を負い続けることが出来ないだろうかと思う。

(3/30追記:つまり、日の丸に敬意を表することで、先の戦争の責任を自覚し続けると言うあり方もあるのではないだろうかと漠然と思っているということです・・・あっ、やっぱり「わりあい肯定的な意見」か?)

ただ、個人的には君が代の歌詞は余り良いとは思わないし、メロディーも好きではない。例の番組でピアノで伴奏していたけれど、あの前奏は何とかならないのだろうか。

(3/30追記:これは与太話)

コメントする。

# bluefox014 『はじめまして。「はてな」で南京事件とか、東京大空襲とかのディープな事柄を扱っているコワイ人間です(笑)
日の丸・君が代の問題は多層的なので個人的には難儀な問題なのですが、思ったことをコメントします。

>しかし、日の丸君が代を止めたからと言って、過去にしたことが全部清算できるはずはなく、むしろ、あの旗や歌を止めてしまったら、我々がしたことが清算できたかのように誤解してしまわないだろうか。むしろ、あえてあの旗を使うことで、自分たちの歴史が他の誰かに不快なものとして感じられていることを記憶し、責任を負い続けることが出来ないだろうかと思う。

日の丸・君が代の破棄=歴史の忘却という可能性は否定できないと思います。ただそれは、日の丸・君が代の賞揚=歴史の忘却という可能性をも考慮しながら語るべきでしょう。
日の丸・君が代問題の一つの核心は、もともと大日本帝国の国旗国歌であった旗と歌を、どうして日本国がそのまま継承したのか、その理念が全く茫洋としていることだと思います。暴風さんのような「責任や過ちを積極的に引き受けるべく継承」という理念に基づいて継承するなり、ある種の人々のように「大日本帝国は正しかった」という理念に基づいて継承するなり、ほんらい継承には理念的根拠があるべきなのですね。

ところが、なんら理念的根拠なく惰性的に大日本帝国の旗と歌を継承してしまった。惰性的に継承しているだけですから、かつて「大日本帝国の旗と歌だったもの」への感情や印象は個々に委ねざるをえないわけです。それゆえ、賞揚する人、暴風さんのように考える人、嫌悪する人などに分かれるのは、「理念なき継承」という経緯を鑑みれば自然な現象だと思うのです。
「何で大日本帝国時代の国歌を、いま歌わなきゃいけないの?」という疑問に対して、立法側には答えがないのですから。

そのような現状においては、国民の側に賞揚する人と嫌悪する人の双方がいることを行政の側はまず認めるべきでしょう。

ところで暴風さんの理念に依れば、旭日旗も負の歴史を背負いつつ自衛隊等で復活させるべきということになりますか? 私は、個人的には旭日旗に対し、まず「拒絶」の感情が先立ちますが…暴風さん的には「敢えて継承すべし」という考えなのでしょうか。』

うーん。コメントって難しい。書きすぎたかなあ。