抑圧の委譲・虐待の連鎖…秋葉原事件と南京事件に通底するもの

http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610より再掲。

己の存在で社会に爪あとを残したかった。そう思うなら、こんな選択肢にはまりこんでしまった彼の愚かさを呪う。

貧困の問題に対して、5重の排除というものがある。教育、企業、家庭、公的福祉、そして最後が自分自身からの排除だという。

どうしょうもない絶望に追い込まれた人は、自分の不甲斐なさを呪い、自分を追い詰めてしまうという。理由は本当は外にもあるのに。

ほとんどの人が絶望を前に勝手に一人で死んでいるのだ。

絶望の背景を他者に見出すことができたなら、それをなぜ別の手段に訴えられなかったのか。歯がゆくて悔しくて、悲しく憎らしい。

ああ、まったくお前はバカだ。バカすぎる。

こんな選択肢、つまり「無差別虐殺というサディズム」にはまりこんでしまった「彼」の愚かさ。
しかし、ある特定の状況では、「抑圧の委譲」「虐待の連鎖」が頻出することを、私たちは知っている。そう、虐待された弱者がより弱い者を虐待する。抑圧された弱者がより弱い者を抑圧するという現象を。

秋葉原事件において「より弱い者」とはトラックではね殺された人、ナイフで刺された人であり、加害者はトラックとナイフを手に入れることで「強者に転じた弱者」であった。

この「抑圧の委譲」「虐待の連鎖」という構図は、1937年の南京事件においても現れている。


南京事件における「抑圧の委譲」・「虐待の連鎖」

事件当時に南京現地入りした日高信六郎・日本大使館参事の、日本兵についての証言。
日本兵の、南京市民に対するサディズム的殺害行為について言及されている。

そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと、「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。


広田弘毅広田弘毅伝記刊行会(1966、1992)

(全文はhttp://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070926に転載があります)


しかし、日本兵もまた虐待されていた。「日本軍」によって。
有無をいわさず戦場に連れて行かれ、殺し合いを強いられ、食糧も与えられなかったのだから。

2005年12月の「南京事件は、日本軍の「自国兵士への虐待」から始まった」というエントリで、私は以下のように述べた。

第十軍の憲兵、上砂少将はこう述べています。

「第一線部隊の携行糧秣は瞬く間に無くなり、補給は続かず、全く「糧食を敵による」戦法に出なけれはならない有様であって、勢い徴発によったのである。

然しこの徴発たるや、徴発令に基く正当な徴発は、現地官民共に四散しているため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った。この情勢を見ていた軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画では到底経理部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰えらして貰う」といきりたった程で、参謀長田辺盛武少将の口添えでその場はおさまったが…」

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050430


兵士に食糧を与えない。立派な虐待です。兵士はどうするか。中国の民間人(農民)から奪うしかありません。10万人の兵士が食糧を奪う。大変な犯罪ですが、これは個々の兵士の責任の問題ではない。

加えて南京戦に送り込まれた兵士の大半は、上海事変の戦闘に従軍した兵士です。激戦を経て日本に帰れると思ったのに、次の戦闘に送り込まれる。そして食糧も与えられない。気が荒れて当然です。

こういう虐待を自軍兵士にしている以上、個々の兵士の不法行為は(たとえどんな規模でも)劣悪な食糧状況、精神状況に追い込んだ日本軍にも「少なからぬ」責任があると、私は考えます。


「日本軍」に対し、個々の日本兵は圧倒的に「弱者」である。
しかし、日本兵は、占領地の市民に対しては「強者」に転ずることができた。それは、武器を持っていたからだ。
そして、「荷物を市民に運ばせて、用が済むと、「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう」といったサディズムを露わにした。

しかし、なぜそこで(強者に転じたときに)サディズムが噴出されたのか?


虐待とサディズムと倫理的ハードル

この点については、より精美な考察を必要とするだろうが、ここでは大まかな問題意識を述べておく。
日本兵が上海戦・南京戦で受けた抑圧・虐待とは「このまま抑圧・虐待されたまま(戦闘や傷病で)命を終えてしまうかもしれない」という種類のものである。そういう状況のなか、「生きているうちに(できる限り)楽しんでおきたい、いい思いをしたい」「つかの間でも、被虐感を忘れたい」「つかの間でも、このまま死んでしまうという不安を忘れたい」という感情が醸成されるのは想像に難くないことである。

しかし、戦場において「生きているうちに(できる限り)楽しむ、いい思いができる」「つかの間でも、被虐感を忘れられる」選択肢は限られている
その限られた選択肢には、遊戯的殺人や強姦や掠奪などの「サディズム」的行為くらいしか存在しないとしたら…


サディズムは多くの人が持ち合わせていると思う。しかしそれは、個々人が倫理的なハードルを設けることによって抑制されている。しかし、虐待を受けた(と感じた)人間の倫理的ハードルは低くなるでろうことは、容易に予想される。要は、「自分だけ倫理的に抑制する」ことがバカバカしくなるわけだ。


もうひとつ、サディズム的行為は、集団のルールというハードルによって抑制を受ける。
しかし南京戦において、軍上層部が略奪や強姦などを抑制する意志があったのか、疑わしい。
昨年7月のエントリで紹介したが、第六師団長だった谷寿夫中将は、軍内部の講義で以下のように述べたという。

谷大佐の陸戦術は、興味と教訓の多い名講義だったが、ただひとつ私の心に引っかかったのは、「勝ち戦の後や、追撃戦のとき、略奪、強盗、強姦は かえって士気を旺盛にする、・・・・」 という所見だった。後日、日華事変で柳川兵団(第十軍)に付属した谷師団長が、 南京残虐事件に連座されたことは周知のことであるが、残念でならない。

海軍教育局長を務めた高木惣吉の証言、実松謙『海軍大学教育 戦略・戦術道場の功罪』(光人社

これは「抑圧の委譲」「虐待の連鎖」は(軍にとって)好都合であると言っているのに等しい。
陸戦術のエキスパート、つまり合理的思考の持ち主である(はずの)谷のこの言葉は、私を戦慄させる。



自殺にも「抑圧の委譲」にも向かわない第三の選択肢

人は、状況によって倫理的抑制を手放してしまう。そのことを前提に、今後について考えたほうがいいと思う。
それは、自殺にもサディズムにも向かわない第三の選択肢を「弱者」が発見しうるか、発見しうるとしたらどのようなプロセスで発見しうるのか、という問題だと思われる。
弱者が「どんな状況であっても、虐待・サディズム的行為に踏み出してはいけない」という倫理を手放ないためには、何を必要としているのか?

私が一つの手がかりに考えているのは、湯浅誠氏のいう「溜め」という概念である。
Arisanさんがこの点について深い考察をされているので、一部を引用して、エントリをひとまず閉じる。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20080524/p1

今の社会では、人は「溜め」を奪われることによって、そういう生の本来的な力に接続する可能性から遠ざけられている、そういうことは言えそうだ。「溜め」というのは結局、この本来的な力への接続の可能性のことであろう。

著者は、今の社会では『自分の部屋以外に居場所がない人たち』(p137)が増えていると書くが、そのことの社会的な意味は、それである。

共同的な「居場所」で体験される「まったり」、「だらだら」した状態には、たしかにある潜在的な力がこめられているのだが、それはその人(人間)を生きさせている社会的な力、他人たちと自分との関わりの姿を、その状態のなかでその人が感じとっていることに由来する。

人は、「居場所」での空無的な情緒(「まったり」、「だらだら」)のなかで、自分の存在が社会(他人との関わり)のなかに置かれている、置かれてきたということに気づく機会(可能性)をえる。あるいは奪回する。

つまりここには、責任や義務の萌芽がある、ということだろう。

それは、自他の「溜め」の差異に、他人を他人として尊重することに、敏感になる、ということと重なっていると思う。