サイト紹介;「ゆう」さんの盧溝橋事件に関する分析

とりあえず盧溝橋事件(1937年7月)について、おそらく俗説が流布されるでしょう。
今年初仕事として、ゆうさんの緻密な史料分析を紹介しておきたいと思います。


南京事件 小さな資料集」より「盧溝橋事件 中国共産党陰謀説」
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/inbou1.html

ネットに「盧溝橋事件」が登場する時、必ずといっていいほど持ち出されるのが、いわゆる「中国共産党陰謀説」です。
しばしば混同されるのですが、「陰謀説」には、

<タイプ1> そもそも「盧溝橋の第一発」は、中国共産党の陰謀であった。

<タイプ2> 「第一発」の犯人が誰であったかはともかく、中国共産党は中国が日本と戦争に突入することを望んでおり、そのために「事件」の拡大過程において「陰謀」を張り巡らせた。

という二つの型があります。掲示板などでは、<タイプ1>と<タイプ2>の違いを意識しないまま、根拠の薄い方である<タイプ1>の主張を行なってしまう方が多いようです。

 私見では、<タイプ1>は、根拠が薄い、極言すれば一種の「伝説」に近いもの、と言ってよいと思います。<タイプ2>については、中国共産党が「事態の拡大」を望んでいたこと、中国側の現地軍である「第二十九軍」に多数の秘密党員を送り込んでいたことまでは「事実」と言うことはできても、果してそれが「陰謀」と呼べるレベルのものであるかどうかは微妙、ということになろうかと考えます。
以下、「陰謀説」について、その根拠とされているデータ群を個別に検討していきましょう。

「盧溝橋事件 「第一発」問題」
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/daiippatu.html

東中野氏の説明では、「盧溝橋事件は一方的に中国側に責任がある」ということになってしまいそうです。以下、主として日本側の当事者の資料をもとに、事実経過を見ていきましょう。


盧溝橋事件 最初の衝突
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/shoutotu.html

 先のコンテンツでは、「第三発」までは、中国軍の一部兵士の「反射的射撃」、あるいはせいぜい「過剰防衛」のレベルに過ぎないことを見てきました。
 この時点では、「中国軍とおぼしき銃声が三回にわたり聞こえた」という小事件であるに過ぎません。これまでのところでは、日本側の損害は皆無であることに、ご注意ください。
 このコンテンツでは、この「小事件」が、なぜ「本格衝突」に発展してしまったのか、その経緯を追っていきます。

盧溝橋事件 「拡大」への道程
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/kakudai.html

 「盧溝橋事件」は、大きく、7月8日午前5時30分の「現地軍の最初の衝突」までの第一ステージ、そしてその後7月28日の全面衝突までの第二ステージに分けることができます。この第二ステージの中で、決定的なターニングポイントともいえる役割を果たしたのが、日本側の内地三個師団等の「派兵決定」です。
 このコンテンツでは、この「派兵決定」にスポットを当ててみることにします。


盧溝橋事件 衝突前史−1936年「兵三倍増強問題」−
http://www.geocities.jp/yu77799/rokoukyou/zensi.html

 「盧溝橋事件」は、決して、何の前触れもなく、突然起った事件ではありません。当時、現地では軍事的緊張が高まっており、事実上一触即発の状態にありました。秦郁彦氏の言葉を借りれば、「盧溝橋の「第一発」は、現場の中国側当事者から見ると、爆発寸前の張りつめた空気のなかで起きたと言えそうだ」(『盧溝橋事件』P97)という情況でした。
  本コンテンツでは、「盧溝橋事件」の遠因としてしばしば言及される、1936年春の支那駐屯軍(青狐注;中国駐留の日本軍)の兵力増強、いわゆる「兵三倍増強問題」を取り上げたいと思います。