「南京攻略時に約四、五万に上る大殺戮」(岡村第十一軍司令官が宮崎参謀・原田少将・萩原中佐より聴取した内容)

第十一軍総司令官として武漢戦を率いた岡村寧次大将が南京事件について受けた報告については、これまでも何度も紹介してきたが、その後発見された史料にははっきりと「約4〜5万の大殺戮」と明記されていた。



「現代歴史学南京事件」(笠原/吉田編著、柏書房、2006年)の12頁、「総論 現代歴史学南京事件笠原十九司、吉田裕」より引用。

1954年6月に厚生省引揚援護局が作成したこの記録、「岡村寧次大将陣中感想録」(靖国楷行文庫所蔵)には、38年7月13日のこととして、次のような記述がある。

中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し。

なお、この記録の表紙には、「一切転載並公表を禁ず」とのただし書きが付されている。

南京事件の殺害者数の算出は困難な問題であり、自分ははっきりとした答えを出せないでいるが、少なくとも4〜5万以上であることは確実ではないかと思う。

ちなみに「岡村大将資料」のほうの内容。
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html


ゆうさんによる岡村大将についての簡単な紹介。

岡村寧次(おかむらやすじ)大将は、南京事件後の1938年6月「第十一軍司令官」に就任し、武漢攻略作戦を指揮しました。終戦時には「支那派遣軍総司令官」の地位に就いています。なお中国側からは、もっぱら「三光作戦」の責任者として有名な人物です。


岡村大将に報告した宮崎参謀とは終戦時の大本営陸軍部作戦部長だった宮崎周一中将のこと。原田少将とは中支方面軍特務部長(のち中支派遣軍特務部長)原田熊吉少将で、ラーベの日記にも登場する。つまり、南京戦を戦った日本軍の特務部長であり、その原田少将が岡村の情報源である、ということの意味は重い。


補記;野良猫さんが「青狐氏の持論」を知りたそうだったので、0時5分頃にhttp://adon-k.seesaa.net/article/18421170.htmlにTBを送信したが0時30分現在、TBが表示されていない。理由は不明。