信仰告白?(「嫌韓流」の一読者と南京侵攻に関して議論3)

(9月12日夜10時多少加筆)

sk2357さんの以下の発言が気になったので、もう一度読み直してみる。
ちなみにこの文のタイトルは「(´_ゝ`)なんだか面倒だなぁ、反論。でも譲れないものもある。」というもの。
タイトルの「でも譲れないものもある」という言葉に留意。
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/834fb3bf9657a53b48b580096b03fab4

日本軍が侵略戦争の側面を持っていたことは否定しません。
たしかに心無い日本軍の一部は、戦争という狂気に駆られ、現地の住民を略奪をしたことはあったでしょう。
愚かな指導部に翻弄されてたこともあったでしょう。
全体主義で悪い面が目立つのも否めません。
而して、それだけですか?大国家ソ連と中国に睨まれ、欧米諸国の外国に圧力をかけられた彼等。
満州が国家の生命線ともなるような地理的背景で、どうして放棄できたのですか?
中国とソ連に一度は勝ったものの、辛勝だったんですよ?ソ連に南下政策、満州、朝鮮、その次は?果たしてそんな恐怖があるなか満州を手放せたでしょうか?
日本軍は欧米列強に支配されない為に必死に戦ったという意見を僕は持っています。

更に言うなら、僕は軍隊が良いものだというのでありません。そこに横たわる目先の事実だけ見れば、日本は確かに悪者です。東南アジアに攻入り植民地化したりしました。
しかし、悪者ですが、それはどんな悪者だったのかと考えてみたいのです。

自分なりに言うならば、「必要悪」なのではなかったのかと考えるのです。

まず一義的には、天皇及び、臣民とりわけ自分の身内を守る為に自らの血を流し、命を懸けて戦ったということ。考えても見てください。日本が軍国主義化しなかったらどんなところから攻入られると思いますか?アメリカ?ソ連や中国?それともヨーロッパですか?
地図の真下には列強により植民地化された国々が並んでいるのですよ?

要は侵略性を認めつつ、自存自衛戦争という名目で侵略戦争を是認するというロジックだ。ぶっちゃけて言うと「侵略したのも自分の身内を守るため」という感じか。このあたりがsk2357さんの「譲れないもの」のようだ。

しかしこれは太平洋戦争を自衛戦争だと主張するロジックかもしれないが(それとて無理があるが)、1937年以降の日中戦争に対してこのロジックは有効とは思えない(「つくる会」教科書ですら日中戦争については「遂行理由不明の戦争」というトーンで記述されている)

厳しい言い方をすれば、sk2357さんの「譲れないもの」とは、リアルな歴史認識ではなくて観念、しかも一種の信仰に観念にすぎないのではないか。上のsk2357さんの発言は一つの「信仰告白」なのだと思う。


もちろん、この観念に沿って歴史を解釈しようとすると、どうしても無理が生じざるをえない。「南京侵攻」と「満州権益保持」を強引に結びつけて「南京侵攻は天皇及び、臣民とりわけ自分の身内を守る為に自らの血を流し、命を懸けて戦った」戦争だとする主張はその典型例である。
(sk2357さんの「南京侵攻」観については現在本人に確認中です)。


追記
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20050918
にTB。